東北地方太平洋沖地震
この地震のM9.0という大きさは、20世紀以降に観測された世界中の地震で4番目の大きさらしいが、その大きさの通り、被害も甚大である。
震度7という地震の他、北は八戸、南は茨城の大洗でも4メートルの津波が発生。千葉の九十九里でも津波で死者が発生し、震源に近い宮城、福島、岩手県では7~10メートルの津波が発生しました。
今回の大地震では、津波の被害が多い三陸海岸だけでなく、津波の被害が少ないと思われていた仙台周辺や福島県でも大津波が発生しました。
被災地で一人でも多くの方の生存が確認されることを祈るとともに、被災された方へ心からお見舞いを申し上げます。
地震発生時、会社の会議室で会議をしていたが、縦揺れの後、横揺れが始まり、その揺れが段々大きくなり、ちょっと、これヤバくね?ということで机に戻ると、更に激しい揺れが。
幸いにも書庫などの什器が倒れることもなく、怪我人はいない模様。
しかしながら、壁には亀裂が入った箇所がいくつかあり、石製の壁の巾木が破損している箇所もありました。
2、3時間で鉄道も復旧すると思っていたが、相次ぐ強い余震のため、なかなか復旧せず、帰宅困難者として会社に泊まることになりました(歩いたら8時間掛かるため)。
ちなみに、うちの会社では3分の1ほどが会社に泊まりました。
椅子に座って寝たので、寝心地は良くなかったですが、停電となっている訳でもなく、夕飯は外で食べられたし、野外で泊まった方に比べれば、はるかに恵まれた状況でした。
ただ、よりによって、ちょうど風邪をひいていたので、会社に泊まったことで、風邪が悪化しました(笑)
夜が明けると、鉄道の運行も徐々に回復し、俺も会社を11時過ぎに出て自宅に向かいました。
地下鉄の混雑はそうでもなかったんですが、北千住に着くと、人の多さに驚愕しました。
時たま、人身事故などで鉄道が動かなくなり、長蛇の列が出来ることがありますが、その際には、駅員に罵声を浴びせたりする光景を良く見ます。
しかしながら、今回は、そんなことをする人は一人もなく、秩序を保って行列を作っていました。
日本も捨てたものではない。
北千住から電車に乗ろうにも、電車は20分に1本だし、人が多すぎていつ乗れるか分からないので、途中までバスに乗って、そこから電車に乗り、家に着いたのは、午後2時前でした。
カミさんに聞いた自宅の被害状況は、タンスが倒れたり、カウンターの上の棚が倒れたりしたものの、食器棚の食器が散乱することはなかったようで、夕飯前に片付けは完了したようです。
実家の被害状況であるが、秋田の震度は東京と同じ5だったので、そんなに心配していなかったが、何度か電話をしても呼び出し音は鳴るが、電話に出ない。
その時は、祖母のところにでも行ってるのかな?と思ったが、翌日の早朝に電話すると、今度は話中に。その後も、呼び出し音は鳴るけど出ない、話中という状況が続き、話中だから家にいるはずなのに、電話に出ないってどういうことだ?と不安になり、実家の近くに住む青アフロ三男さんに様子を見て来て頂きました。
様子を見て来て頂いた三男さん、また三男さんに連絡を取って頂いたコアサポの方々に心から感謝いたします。
停電の中、本当にありがとうございました。
同じ市内に住む叔母には、翌日の朝に電話がつながったので、停電中でも呼び出し音が鳴れば、電話はつながるものだと思ったが、実家の電話は停電中は使えなかったようだ。
親に言わせると、家の電話は使えないし、携帯で掛けてもつながらなかったとのことだが、携帯のメールで無事だと知らせるとか、公衆電話を使って連絡するとかしてほしかった。
おかげで、コアサポさん達の手を煩わせてしまい、申し訳ない次第です。
災害時の連絡方法をもう一度確認する必要があります。
また、被災地では、水、食料、エネルギーが不足しておりますが、これらの物資の欠乏は、今後、首都圏でも顕在化してくるでしょう。
関東では、明日(3月14日)から、輪番で停電が始まり、電力不足に対処することになります。
今後、停電や物資の不足で不満の声も高まることも予想されますが、世界に誇れる日本人の規律を見せてほしいと思います。