開幕戦の日程が発表
http://www.jfl-info.net/
これによるとブラウブリッツの開幕戦は、3月14日(日)高崎戦(会場:秋田県内)
となっています。
つまり、これは秋田フットボールクラブ株式会社がフライングして掲載してしまった日程が正しかったということの証明になります。
となると今年は18きっぷを使って秋田に遠征するのは、春休みの時期だけになりそうです。
ブラウブリッツ秋田公式ホームページ開設
http://www.blaublitz.jp/
工事中のところが結構あるし、誤字もいくつか発見したけど、開幕までに直していけばいいかな。
とりあえず年会費5,000円の後援会に入ろうっと。先着300名にプレゼントがあるみたいだし。
頑張れ!ブラウブリッツ!俺も関東から応援してます!!
仁賀保での観戦結果(2008年)
チーム自体が序盤は勝ち星を取れず、初勝利は前期11節の岡山戦であった。
ホーム初勝利こそ、八橋球技場で行われた前期12節の高崎戦で記録したものの、ホームスタジアムの仁賀保で勝てない。
8月27日に行われた後期7節の岡山戦でも勝利することができず、仁賀保での勝利は9月以降に持ち越された。
8月が終わっても未だに仁賀保で勝てていないなんて、2008年シーズンが始まった頃は想像も出来なかった。
8月27日に岡山に負けた時点で俺は9月7日の琉球戦を応援するために仁賀保に帰省することを決意した。
今回も交通手段は青春18きっぷでの往復で、土曜日の朝に埼玉県を出発し、夕方に仁賀保に到着し、日曜日の試合が終わったら普通列車に乗り込み、月曜日の早朝に埼玉県に到着して、一度自宅に戻ってから出社というスケジュール。
去年の4月と違うのは、日曜日に秋田市で高校野球の秋季地区予選を見た後で、仁賀保に戻りTDKの試合を見るということだ。
当日の朝に仁賀保を出て高速を使って、こまちスタジアムを目指す。
そこで高校野球の秋季地区予選2回戦、本荘高校-秋田商業の試合を観戦。
試合は本荘が先制するも秋田商業に逆転され、9回裏に3点差を追いついたものの、延長戦で敗れるという結果だった。
試合が終わったのが11時45分過ぎで、そこから急いで仁賀保に戻る。
なんとかサッカーの試合に間に合い、うまいと評判のカレーを食べた上で、スタジアムに入る。
この日の観客数は、1116人。
すると琉球サイドには フィリップ・トルシエ元日本代表監督 がいるではないか!
まさか本当にトルシエが仁賀保に来るとは思わなかった。
試合は富樫がゴールを決めて1-0でFC琉球に勝利。
なんと、これが2008シーズンの仁賀保での初勝利だった。
かなり遅い初勝利だったので、喜びよりも、ようやく勝てたという安堵感の方が強かった。
結局、年間パスを使ったのは、この試合だけ。残りのホームの試合は観戦できないので、年間パスは中学の同級生にあげて仁賀保を後にして普通列車に乗り込んだ。
これで俺の仁賀保観戦は2連勝。しかも、どちらもチームの仁賀保初勝利というオマケつきだ。
逆に言えば、俺が仁賀保に来るとチームが仁賀保で初勝利をあげるとも言えるので、来年はこのゲンをかついで早めに仁賀保に来ようと思った。
今回残念だったのは、サポの方に飲みに行こうと誘って頂いたのに、既に帰りの電車に乗ってて飲みに行けなかったこと。
次の機会があったら是非お願いいたします。
なお、余談ではありますが、トルシエはイスラム教に改宗してオマルというムスリムの名前ももっています。
でも、試合が終わった後、オマール・トルシエ! とエールを送ったけど無視されちゃったな。
仁賀保での観戦結果(2007年)
東北リーグ時代からTDKサッカー部のホームスタジアムとして使用されてきたニカスタはTDKサポの聖地。
エクセルコーポレーションのカレーもうまい。
2006年11月にTDKサッカー部の初観戦をしたが、JFL昇格後の初観戦となったのが2007年4月8日の流通経済大学戦。
交通手段は青春18きっぷでの往復で、土曜日の朝に埼玉県を出発し、夕方に仁賀保に到着し、日曜日の試合が終わったら普通列車に乗り込み、月曜日の早朝に埼玉県に到着して、一度自宅に戻ってから出社というスケジュール。
入場券については事前に年間パスを購入し、TDKのユニフォームとタオルマフラーも通信販売で購入していたので、当日は家からユニフォームを着てタオルマフラーを頭に巻いてニカスタまで歩いていった。
ユニフォームを着て歩いていったのは通行人や国道を走る車にTDKのユニフォームを見せて少しでもTDKサッカー部のことをアピールすることが目的だったが、ゲンかつぎもあった。
なぜなら2006年の都市対抗、大学野球、地域決勝1次R、甲子園ボウルと俺が観戦に行った各種スポーツの試合で7連勝を記録していたが、そのすべてが交通手段として車を使わなかったので、今回も使わないこととした。
スタジアムに徒歩で入ったら勝つというゲンをかついでのニカスタ入りだった。
ちなみに、その年の夏に西目で行われた鳥取戦は車で行って、後半だけとは言え、負けました...
さて、JFL1年目ということもあり、スタンドは満員に近い状態。公式記録では1256人を記録。
この頃はこんなに観客が入っていたんですね。
試合の方は、松田がゴールを決め、1-0で流通経済大学に勝利。
JFLでは向こうが先輩とは言え、社会人としての貫禄を示した結果となった。
なお、この勝利は、TDKサッカー部がホームで記録した初勝利であり、その現場に立ち会えたことは嬉しかったし、なにより勝利したことで仁賀保まで来た甲斐があった。
また、前年の地域決勝1次ラウンド突破のゴールを決めた小沢選手と試合後に握手できたことも良かった。
今回の遠征で、俺はホーム初勝利の興奮と応援歌の歌詞カードを手に入れた。
ホームゲーム観戦の場合の交通手段
私は基本的にサッカー観戦のために仁賀保に帰省する際は、青春18きっぷを使っています。
その理由は
安い
電車なので自分で運転しなくて良い
自宅に早朝に到着するので試合翌日も出社できる
といったことが挙げられます。
なので、私がサッカー観戦で仁賀保に帰省するのは、基本的には青春18きっぷが使える春休みと夏休みの時期です。
ただ、夏休みはいろいろと予定があるので、仁賀保に行けるのは春休みの時期と9月の上旬となりますね。
◆仁賀保での観戦実績:2007年4月上旬、2008年9月上旬、2009年4月上旬
TDKサッカー部観戦デビュー戦
それに地元の情報もあまりなく、ブログのネタも少ないので、ブログの投稿の練習とするべく数少ない私の観戦記を書いていこうと思います。
どんだけ続くか分かりませんが、第1回はTDKサッカー部観戦デビュー戦となった2006年のYSCC戦。
TDKサッカー部の試合を初めて観戦したのは2006年11月26日のYSCC戦。
埼玉県熊谷市で行われた全国地域リーグ1次ラウンドの最終戦でした。
TDKのグループはTDK、新日鐵大分、YSCCの3チームで構成。
TDKは初戦の新日鐵大分戦をPK負け。翌日、新日鐵大分がYSCCに勝てばTDKの1次リーグ敗退が決定するが、新日鐵大分が敗れたため、TDKの1次リーグ突破の可能性は残ったが、1次リーグ突破のためにはYSCCに90分で勝利することが絶対条件。
初戦の新日鐵大分戦は平日で休みが取れなかったため観戦を断念したため、日曜日のYSCC戦が観戦デビューとなる。
TDKのユニフォームをもっていないので、日本代表のユニフォームを着ていくことにした。
当日は寒い日だったので、防寒対策をしっかりして1人で熊谷に向かった。
インターネットで調べると試合会場は熊谷駅から徒歩40分程度ということだったので、駅から歩いていくことにした。
40分程度ということだが歩いても歩いても会場が見えて来ない。
40分ほど歩いて、ようやく会場が見えたが、そこから更に20分掛かった。
結局、寒空の下を1時間以上歩いてようやく会場に到着。
JFL昇格が懸かった試合なので、都市対抗ほどではないにせよ、応援団が20~30人は来ているんじゃないかと思っていたが、ユニフォームを着た集団は数人だけで、知らない顔ばかり。
中学の同級生でTDKに入った奴は何人もいてサッカー部に入った奴もいるから知ってる顔もいるかなと思ったが、いなかった。さすがに30代なかばになったらサッカーやめてるよな。
ただ、ユニフォーム集団と俺の間に見たことのあるメガネの人が。
小学校の頃、監督の代わりに臨時で何回かサッカーを教えに来た町役場の人だ。
久しぶりに見る仁賀保の人間で、少し嬉しくなったので話しかけてみた。
俺自身は小学校でしかサッカーをやってないので当然俺のことは知らないが、向こうは俺の父親と弟のことは知っていたので、俺がどういう人間かは認識してもらえたようだ。
そして右手を見るとかすかに見た覚えがある顔が。
恐らく俺と同じ院内地区の人だと思ったので、この中年男性にも話しかけてみた。
「もしかして仁賀保から来たんですか?」
「わざわざ仁賀保からこんなとこまで来るなんて物好きですねえ」
「え、TDKの方なんですか。ご苦労様です」
なんて感じで俺が話してた相手は、実は TDKサッカー部の佐藤部長だった(笑)
翌年、TDKのホームページで佐藤部長の写真を見て、あの時のオジサンが部長だと知って非常にビックリした。
部長だと知らないで話しかけた失礼をお詫びできたのは、2008年の開幕戦でお会いした時だった。
ユニフォーム集団の中にはブラウブリッツの初代監督となった横山氏と鹿児島実業で一緒にサッカーをやってた人がいて、その人の話では、TDKサッカー部とカンビアーレを合併させてJリーグを目指す動きがあるとのことだった。
ブラウブリッツが誕生してあの時の話を思い出した。
さて、試合の話に戻って。
試合開始が近づくとYSCCサイドにサポーターが集まり始める。その数、50~70人近い。
こっち側は俺を入れても7人ほど。多勢に無勢だ。
しかし、俺個人としては人数が少ない分、逆に猛烈に闘志を燃やしていた。
そして試合が開始された。
当初は1人で応援しようと思っていたが、TDKサポの近くで応援させてもらえることになったので、最初の10分ぐらいはTDKサポの応援に従っていた。しかし、10分過ぎからは相手の応援に負けてなるか!とヒートアップ。
TDKサポと関係なくTDKコールや都市対抗で覚えたTDKの社歌のサビの部分を叫びまくる。
負ければ、いや90分で勝てなかった時点でJFLに昇格できなくなるから、必死に応援した。
俺は国立でTDKの試合が見たいんだ、ここで負ける訳にはいかない!という思いだった。
試合は一進一退の攻防が続く中、TDKがやや優勢で前半を終える。
応援は後半も最初から俺一人が全開(俗に言う浮いてるってやつです)。
すると後半開始から数分たった時に、TDKの右CKに小沢が頭で合わせて先制!
ついにTDKが均衡を破り、応援にもますます勢いがつく。
相手は昨日も試合があったので、疲れが出てきたのか、後半が10分を経過した頃からTDKの優勢が明らかとなってきた。
右ウイングの富樫が何度もゴール前でチャンスを迎える。
富樫一人でかなりシュートをうったと思うが、1点も取れない。
(後日調べたらシュート数はTDK22、YSCC7でした)
守備陣もあわやという決定機を作られかけたが、なんとかしのぎ、結局1-0でYSCCを破り、TDKが逆転で1次リーグを突破した。
JFL昇格の可能性が残ったことと、想像以上にレベルが高いサッカーを見て大興奮。
これなら決勝リーグも突破してJFLに昇格できる!と思いました。
勝利したことで帰りの1時間の道のりも寒さもまったく気にならなかった。
熊谷駅に着くまでの間、何度もガッツポーズし、来年JFLに昇格したら再来年はJ2昇格だ!などと妄想しながら歩きました。
このころはJ準加盟やJ2昇格に厳しいハードルがあると知らなかったからこんな妄想をしたが、今考えると恥ずかしい。
しかしながら、この時のTDKの戦いぶりをみて、関東でやる試合だけでなく、秋田でやる試合でも、場合によっては関西でも応援に行こうと強く思ったのは事実。
TDK、そしてブラウブリッツを応援しようと思った原点がここにあります。
長文となってしまい、読んだ方には申し訳ないです。
そして応援ルールも分からず暴走してしまい、TDKサポの方々には申し訳ないことをしました。
改めてお詫び申し上げます。あの時は勝手な応援をしてすいませんでした。
TDK SC観戦結果
すると合計で17試合。(2006年の地域決勝を入れれば18試合)
関東在住なのでこんなものかという感じですが、コアサポの皆さんは1シーズンのホームだけで17試合行ってるんですよね。マジで頭が下がります。
以下が俺の観戦結果です。
2006年
○TDK1-0YSCC(熊谷)※全国地域リーグ1次ラウンド
2007年
○TDK1-0流経大(仁賀保)※チームは仁賀保&ホームで初勝利
△TDK0-0栃木(宇都宮)
●TDK1-2鳥取(西目)※後半のみ
○TDK2-1高崎(高崎)
●TDK1-2FC東京(味スタ)※天皇杯4回戦
2008年
△TDK1-1佐川印刷(太陽が丘)
△TDK1-1流経大(カシマ)
●TDK1-2栃木(宇都宮)
○TDK3-2高崎(高崎)
○TDK1-0琉球(仁賀保)※チームは仁賀保で初勝利
番外編:○ヴェルフェたかはら那須5-0与野蹴魂会(越谷)※関東2部。V那須には遠藤雄二が所属
2009年
△TDK0-0佐川急便(守山)
●TDK0-2流経大(カシマ)
●TDK0-1ソニー(仁賀保)
△TDK2-2高崎(高崎)
●TDK0-1横河(武蔵野)
○TDK4-2北九州(八橋陸)
●TDK1-2町田(町田)
ブログ名の由来
関東ブラウブリッツ基地外ブラザーズ の略です。
ブリキチの意味は、ブラウブリッツ基地外(=気違い)、
つまり、周りの人に狂ってると思われるぐらいの関東在住のブラウブリッツファン。
という意味ですが、私自身はまだまだその域に達していません。
当初は、巨人の私設応援団の 関東狂巨熱一家(通称:じゃいきち(ジャイアンツ気違い)にあやかって 関東ブリキチ一家にしようかとも思いましたが、家の中でブラウブリッツどころか、サッカーに関心があるのは私だけなので、それは断念。
で、ブラザーズですが、関東ブリキチだけじゃさみしいので、何をつけようかと考えたときに、マリオBROSの箱が見えたので、BROSをつけました。
BROSをつけたのは、マリオブラザーズへのリスペクトですかね。
ブログを始めました
私は首都圏在住の秋田県人で、秋田県内の方々と比べるとクラブのために出来ることは限られていますが、自分の出来る範囲でクラブに協力していきたいと考えています。
ブラウブリッツ秋田の母体となったTDKサッカー部を応援するようになったのは数年前からです。
新聞のスポーツ欄だったか、ネットサーフィンをしていて偶然見つけたのか忘れましたが、TDKサッカー部がJFLへの登竜門となる全国地域リーグ決勝大会に出場したという記事を見て興奮しました。
自分の中でTDKサッカー部は地元のサッカーがうまい人が行くところというイメージはありましたが、Jリーグのすぐ下のリーグに行けるなんて想像もつかないことでした。
しかしながら、その年は惜しくも全国地域リーグの突破を逃し、次の年も全国地域リーグには進んだものの、同じく突破はなりませんでした。
そんな中、2006年は母校が甲子園出場、そして都市対抗野球でTDK野球部が優勝!
甲子園からの帰りの電車の中では延々と悔し涙を流し、東京ドームでは歓喜の涙を流し、自分の中の秋田魂が熱く燃え上がった年でしたが、TDKサッカー部も東北リーグで優勝し、またもTDKサッカー部はJFL昇格への挑戦権を得ることとなったのです。
しかも1次リーグの会場は埼玉県熊谷市。観戦に行ける場所です。
都市対抗優勝の感激をもう一度味わうべく、1次リーグ最終戦を観戦しに熊谷に向かいました。
勝利しないと敗退という状況下、TDKサッカー部は見事に勝利を収め、1次リーグを突破。
この時に初めてTDKサッカー部の試合を見ましたが、想像以上のレベルに驚くとともに感動と興奮を覚え、JFLに昇格したら絶対に応援に行こう!秋田でやる試合でも応援に行こう!と強く思いました。
続く決勝リーグの会場は大分県だったため、さすがに観戦には行けませんでしたが、決勝リーグでは、現在J2の岐阜、岡山を破り優勝!長年の悲願であったJFL昇格を決めました。
JFL昇格後は、ホームは年2回、アウェイは関東を中心に年に数回観戦しています。
首都圏在住のため、基本はネットサポですが、機会とお金とカミさんの許す限りスタジアムに足を運んでTDKサッカー部改めブラウブリッツ秋田を応援したいと思っていますので、宜しくお願いいたします。